大丈夫

大丈夫じゃない

冷めたカフェオレがあたたかった

2017年3月某日。わたしは2度目の荒浜に向かっていた。地下鉄荒浜駅から荒浜までバスで向かえるけど、わたしは歩いた。因みに早足のわたしで一時間かかる。歩くのが好きなので時間がかかる点、疲れる点、足が痛くなる点については全く問題ないけど、問…

さびしさの化身のはなし

ひとりでいてもひとといても、常にわたしのどちらかの足に腕を巻き付き離れない子供のように付きまとっている。それに気付いてはいたけど、それに思考や感情を奪われるとめんどくさいので気付いてない、わからないふりをしがちでいた。普段気にすることはほ…

雲ひとつない快晴の空は

どこへでも行けるようなカラッとした気持ちよさと、どこへも逃げられないような泥濘じみた気持ち悪さが同居した途端、喧嘩し始めて終わりが見えず途方に暮れる感覚に陥るので時たま吐きそうになる。わたしのいる空間が、宇宙まで直に区切りもなくこれでもか…

まさに世界の終わり、たかが世界の終わり

木々が淡いピンクを纏うようになったと思ったら、少しくすんだピンクと、対照的なみずみずしく鮮やかな青を纏うようになっていた。ああ杜の都仙台のうつくしく爽やかな季節が来るなあと少し恋しくなる。あの欅の葉の隙間からこぼれる暖かな日にあたりながら…

「元気で、いや元気じゃなくてもいいから、またね」

という昨年のナゴヤドームでのライブで、去り際に放たれた藤原基央のことばを思い出しては今日も元気でいられるな。去り際に放たれてこんなにも元気になったことば、これ以上のものをわたしはまだ知らない。機種変更した。メールや画像、電話帳は残っている…

プラスチックでできたおもちゃの指輪

のような四年間だった。とても軽くて中も空洞で何の価値もないような、そんな大学生活だった。ひとから見たらそうかもしれないけど、ガラクタのようなこの指輪の価値は、わたしにしかわからない。中は空洞で何も詰まっていないようで、記憶の引き出しを開け…